2009年10月21日

2008年度フルブライト語学アシスタントプログラム参加者最終レポート第八弾!

Hollins U.

多田 利恵さん


Fall Semester は自分の生活や、授業などを軌道にのせることが中心になっていたが、2月からのSpring Semester ではいろいろなことに慣れ、生活や学業面でも余裕ができ始めた。そして、それまでに担当教官と話し合っていた2つのイベントを本格的に企画した。また、学校外でも日本や日本語に興味のある人・行事と関わりを持つことができ、新たな目線で日本を見たり考えたりする機会が多くあった。



3月、日本の映画を観せるJapanese Film Festival を行った。3本の映画を、3週間に渡って学校のホールで上映した。 学校のイベントとして学校内外に告知をすることができたため、興味のある学生や、日本語クラスの生徒の友達、または学校近隣の興味のある方々が足を運んでくれた。映画は英語字幕付きだったが、初級クラスも簡単な単語は聞き取れる時期になっていたので生徒も喜んでいた。 日本人が少ない学校、少ない地域のため、こうした長い会話を耳にし、また目でも日本をそのまま感じることのできる映画は本当によい題材だということを実感し、またそれぞれの作品をとても楽しみ、感動してくれていたことが私自身非常に嬉しかった。



4月、Japanese Culture Nightと題して、日本の文化を紹介するイベントを行った。私が全てを計画するのではなく、学生自身が楽しめるよう学生の興味のあるものを選んでもらおうと、企画する段階から彼女たちを巻き込んでいくことにした。会場となる部屋にいくつかブースを設け、来た人にそれらを紹介・体験してもらえるように、ということだけを決め、あとは各自やりたいものを探しグループで準備を進めてもらった。その結果、 J-Pop、アニメ、食べ物、折り紙、書道、茶道、着物、ヨーヨー釣りなどのブースができた。食べ物はアメリカ人が大好きなお寿司(担当教官の特製太巻き)、お好み焼き、そしてたこ焼きを担当教官や学生と一緒に用意した。



当日は日本人留学生にも協力してもらった。彼女たちには浴衣を着てもらったが、中には自前の着物を着て参加してくれた学生もいて、とても華やかな雰囲気になった。また、雰囲気だけでも伝わればと思い、茶道のデモンストレーションを行うことにした。慣れない手つきで、決して人前で披露できるようなものではなかったが、見たことのない風景に真剣に目を向けてくれた。初めてのお抹茶は、苦すぎたようだが、それもまた気に入ってくれていた。担当教官が教えているもう一校の学生もたくさん足を運んでくれ、協力してくれた生徒たちも楽しむことのできるイベントを開催することができ、ここでやっとこの一年の目標を達成した、という満足感を持つことができた。



このCulture Night の前の週、ワシントンDCで行われていたNational Cherry Blossom Festivalに中級クラスの生徒たちと一緒に訪れる機会があった。たくさんの屋台が並び、日本食を初め、出店やステージで日本の様々な文化を紹介するイベントであったが、本当にたくさんの人が訪れていることに驚いた。1912年、東京から贈られた3,00本の桜は、あのワシントンモニュメントの近くに咲いていた。久しぶりに見る日本の桜に本物の「和」を感じ心が癒された。また、あちらこちらでは日本のコスプレとも異なるコスプレをしていたり、フェンスで囲われた一角*でビールや日本酒を立ち飲みしている光景も、日本のお祭りとは違い、アメリカらしい桜祭りを満喫することができた。(*アルコールに関する法が厳しく、アルコールを扱う場所を囲い、その中でのみ飲酒が許可されていたため。)
 


帰国直前に、ほんの数回ではあったが、地元の図書館に集う日本好きの子供たちが作ったクラブにもボランティアとして参加する機会があった。ロアノークの市には日本人はほとんどいない。実際私が滞在していた間、学校以外で日本人を見けることはなかった。派遣先のHollins Universityにも日本人が5人ほどいたが、それは多い方だそうだ。そういう環境にいるため、子どもたちがマンガやテレビを通して知る日本に対して、疑問に思ったことを気軽に聞ける日本人がいないのだ。学校生活そのものや、制服に関する質問、家の作りに関することなど、私も考えたことのないようなことも聞かれた。残念ながら図書館に足を運べたのはほんの数回のみで、あまり交流も持てず、何かを一緒にする、ということすらできなかったが、ネイティブの日本人と接したことで、今後も興味を持ち続けていって欲しいと思っている。



こうして留学期間後半は、自分が何をどう伝えるかだけでなく、アメリカ人に日本がどのように受け入れられているか、日本の文化等がどのように伝わっているかについて前半よりも多く知る機会があった。しかし多くの人が日本の一部しか知らず、または偏見を持っているということも実感したと同時に、もっと多くの情報を多くの人に伝えたい、と強く思う時期もあった。


この一年でアメリカで日本語を教え、日本の文化を伝える立場として母国語・文化そして母国そのものを新たな角度から見ることができ、想像以上に視野が広がった。本来ならば、この経験で得た全てを、教壇から日本の生徒たちに還元することが一番良いのだろう。しかし、日本語教授に関してももっと専門的に、本格的に学びたいと思い、日本語教師の資格を取得しようと思い立った。この一年で習得しきれなかったもの、学生たちに貢献できなかった部分を、きちんとした形で日本語教育を学ぶことによって、またどこかで伝えていきたいと今は考えている。




 

posted by スタッフ at 15:05| 東京 ☀| FLTA レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする