2009年09月09日

2008年度フルブライト語学アシスタントプログラム参加者最終レポート第ニ弾!

Tougaloo College
金田由起子さん

「Kaneda-sensei! I miss going to your class.」(金田先生!先生の授業がなくて寂しいです。)任務を終え、日本に帰国してからというもの、心ここに有らずだった私にふと届いた学生からのEメール。まるで私の気持ちを表しているかのようなそのEメールを見て、思わず泣きそうになった。永遠に終わりが来ないのではないかと不安な気持ちいっぱいで迎えた1日目から、月日は流れ10カ月…。とうとう終わりを迎えてしまった。私にとってこの10カ月は、決してあっという間ではなかった。一ヵ月、一週間、一日を今まで経験したことがないくらい必死で生きた。すべての瞬間が、刺激であり、挑戦であった。

最初の半年間は、まるで赤ちゃんになったかのようだった。初めての海外生活、初めての一人暮らし、初めての教師生活。分からないことだらけで頭がおかしくなりそうだった。しかし、物事は進んでいく。ソーシャルセキュリティーナンバーの取得、携帯電話の契約、インターネットの接続、中古洗濯機の購入…。日本にいたら何でもないことが、ミシシッピでは全く出来なかった。南部訛りが全く聞きとれず、電話がかかってくるのが怖くて仕方なかった。

大学では、前任の日本語教師がおらず、赴任早々、仕事が山のように降ってきた。「授業で使う教科書とワークブックは、自分で選んでブックストアに予約しておいてね。」「シラバスとコースアウトラインを自分で作って、今月末までに3部提出して。」とどんどん指令が出された。日々の授業だけではなく、「来週、○○教授のクラスで『日本の戦後の天皇崇拝』について50分の講義やって。」「今度の教授会で、オンラインコースの使い方についてプレゼンして。」と様々なアクティビティーを必死でこなす日々。まさに、生きるか死ぬかのサバイバルだった。

身体的にも精神的にも疲弊しきっていたある日、大学副学長の妻であるサンドラに出会った。耐えきれなくなって自分の気持ちを打ち明けると、彼女はある言葉をかけてくれた。「Yuki, I’ll tell you one thing. Keep on opening your mind.」(ゆき、ひとつ教えてあげるわね。常に心を開き続けてごらんなさい。)その言葉を聞いた時、すとーんと肩の力が抜けた。誰も頼れる人がいない、誰も私を助けてくれない。すべて自分でやらなくてはいけない。そう思いこんでいた私は、誰かに相談したり、一緒に進めることを忘れ、自分の殻の中に閉じこもっていたのだった。

サンドラの言葉を聞き、それから思い切って、色々な先生たちに相談してみることにした。出来ない時は、出来ないと正直に言い、どうしたらいいのかアドバイスをもらった。心を開いたのは先生たちにだけでなく、学生にも素直に表すことにした。訛りが強すぎて分からない時は、スペルで表現してもらい、目には見えないアフリカンアメリカン文化は、一緒に体験してみることにした。すると、今まで絡まっていた糸や張り巡らされていたバリアが一気に解けた。この体験は、まさに驚きだった。

12月にワシントンDCでフルブライトのワークショップがあった。そこで、日本のFLTAたちと再会し、世界各国から集まった400人以上のFLTAたちに出会い、自分たちの経験を共有した。気楽に過ごしてきたFLTAは一人もいなかった。皆、悩みを抱え、困難を乗り越え、本気で毎日を過ごしていた。ワークショップ最後日の夜、ダンスパーティーで楽しそうに踊る世界中の英語教師を眺めながら、「後期はもう恐れないぞ。」と心に決めた。

1月に授業が再開し、また多くのミッションに巻き込まれた。しかし、肩の力が抜けた私は、それを楽しめるようになっていた。自分の経験を他の先生たちとシェアしたいと思い、ミシシッピ州国際教育者学会(MAIE: Mississippi Association of International Educators)で、フルブライトプログラムについて発表することにした。そこで出会った教授や学者の先生方とは、その後も連絡を取り合い、進路相談などにのってもらった。

授業では、学生たちが生まれて初めての「日本語スピーチコンテスト」に参加した。コンテストは隣の州で行われたのだが、学生たちを車に乗せ、ハイウェイを100kmで飛ばしながら学生たちのスピーチの最後確認をするほどに、あの赤ちゃんだった私はたくましくなった。会場に着き、「こんなにたくさんの日本人を見たの初めて!何だか日本にいるみたい!すごいね!」と興奮する学生たち。日本人は、領事館や他の大学からいらっしゃった10人ほどだったにも関わらず…。そんな彼らを微笑ましく思いながら、私がここにいる意味は少しでもあるのかもしれないと心をなでおろした。

任務が終わる1ヵ月前に、大学のお祭りがあった。そこで私は、何か出来ることはないかと考え、学生たちと一緒に「ソーラン節」を踊ることにした。カフェテリアの前でいつも踊っている彼らにとって、ダンスは大好物!授業が終わってから講堂に集まり、大音量でソーラン節をかけながら、「もう動けないー!」と汗びっしょりになって練習した。本番には、領事館から送ってもらったハッピを着てステージで発表した。立ちあがって一緒に踊ってくれる学生もたくさん出てきて、大いに盛り上がった。

ちょうど1年前に派遣先が発表された時、私はこんなことをすることになるなんて夢にも思っていなかった。指導教官から、「私たちの大学は歴史的黒人大学で99%の学生はアフリカンアメリカン。日本語のコースはこれまで皆無だったので、学生を募集するところから始めます。」と言われた。そんな中に、私ひとり日本人が飛び込んでいって何ができるのかと途方に暮れた。目標は、学生たちが一生のうちでJapanという単語に出会った時に、そういえば昔、日本人らしき人が大学にいたなと思ってくれることにしたのを思い出した。さて、その10カ月を終え、果たしてその目標は達成できたのか。

前述した帰国後に届いた学生からのEメール。実は、このメールの後に、衝撃が走る。「Two of your students are coming to Japan!」(先生の学生2人が、日本に行くことになったよ!)なんと、大学が申請していた奨学金がめでたく通り、学生を日本に送ることが出来ることになったというのだ。夏休み中の3週間、日本語トレーニングプログラムに参加するという。2人とも海外はおろか、州の外に出たこともほとんどない。初めての飛行機に緊張しているようだが、これはきっと彼らにとって日本人を10人以上目の前にするいい機会になるはずだ。

FLTAプログラムは帰国して終わりというものではない。日本、アメリカ双方が歩み寄るためのきっかけとして、様々な形でこれからも発展していくものだと思う。

最後に、このプログラムに参加したことは、私自身にとって大きなターニングポイントになった。この機会を与えてくれたフルブライトアメリカ・ジャパン、IIEスタッフの方々をはじめ、英語・日本語教育に携わっている先生方、ミシシッピ在住の貴重な日本人の方々、派遣大学の教授・学生たち、世界のFLTA同志たち、そして、常に私を支え続けてくれた大切な友達と家族に、心からの感謝を送りたい。
posted by スタッフ at 15:25| 東京 ☁| FLTA レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする